新年 あけまして おめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年は多くのお客様に恵まれ、それぞれに素敵な建物を誕生させ、お引渡しをしました。
生まれ出る建物たちはすぐには一人歩きできないので、お客様にお願いして
愛情たっぷりに育てていただくお願いをしました。
手を放す瞬間はとても辛く、どの建物に対しても“涙”が出ます。
(工事に携わった職人さんたちの思いを感じたときに涙腺が緩みます。)
特に引渡し直前に最終点検を兼ねて隅々を掃除した家ほどハラハラドキドキの緊迫感があり
本当に愛着が出て、「この家はいつまでも“美しくあって欲しい”」と願ってしまいます。
「“娘”を嫁に出す」気持ちと似ているかもしれません。
土地を見た瞬間から“夢の実現”が始まり、何処か“赤い糸”に曳かれるように
“運命的に建物が形作られていくのです”・・・実に不思議ですが、自然なんですねーーー。
ですから・・・お客様との運命を感じるわけで
運命を感じない人とは“家はつくれない!”のが実感です。
ハートで繋がっているかいないかという分かれ道は“私の直感”です。
ある意味では「“金”じゃーない!」というのが本音です。
確かにお金は最低限は必要だけど、少ないお金でもお客様に
私を動かすだけのモチベイトがあるかどうか?です。
つまりは、お客様は私のためにどれくらい一生懸命になれるか?です。
途中でお客様自身の責任を私に負わせるお客様がおりますが、これもダメです。
お客様にはお客様の責任、私には私の責任、施工者には施工者の
責任があることを忘れてはいけません。
こうした中で、昨年も別の意味で「私をビジネスライクで試す」お客様がおりました。
求めるだけ求めておいて、自分は汗を流さないお客様でした。
(時折、これを勘違いしている“殿様”的施主がいますが、
戦国の名だたる武将は自分でも責任を取るべく家臣とともに自ら汗を流していました。)
こうしたお客様に限って“私のプラン”を基本プランにして他の設計者で建てています。
施主も施主だが、設計者も設計者です。(同じ登録建築家として遺憾に思います。)
こうしてみると、私はやはり職人なのかもしれません!
お客様のことが気になって仕方がないし、現場のことが気になって仕方がない。
お金のことが気になって仕方がないし、品質のことが気になって仕方がないですから・・・。
職人に頼んであるから責任は彼らが負っているのは当然のこと・・・ながら
これは直接的な事実だけれど、私の責任はそれを超えています。
非常に重い責務です。
“設計・監理責任を転嫁するような設計者”は私は許しません。設計者をマネジメントする・・・もっとも責任ある立場の設計者がここにいます。
今年も一年、“自身の責任に甘えることのない施主”のために一生懸命がんばります。
よろしくお願いいたします。
cosugi : 2006年01月01日 23:07